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横浜地方裁判所 昭和58年(ワ)1135号 判決 1986年9月22日

原告(反訴被告)

学校法人神奈川大学

右代表者理事

菅野敏雄

右訴訟代理人弁護士

沼野輝彦

藤本高志

花村聡

反訴原告

吉岡孝仁

反訴原告

望月康英

反訴原告

桜井裕平

被告(反訴原告)

星日出子

右四名訴訟代理人弁護士

辻惠

大津卓滋

尾嵜裕

主文

一  被告(反訴原告)星日出子は、原告(反訴被告)に対し、別紙物件目録(二)記載の建物を明け渡せ。

二  反訴原告らの請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、本訴反訴を通じ、反訴原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項及び第三項について、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(本訴請求について)

一  請求の趣旨

1 被告(反訴原告)星日出子(以下「反訴原告星」という。)は、原告(反訴被告、以下「原告」という。)に対し、別紙物件目録(二)記載の建物(以下「本件建物部分」という。)を明け渡せ。

2 訴訟費用は右反訴原告の負担とする。

3 仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(反訴請求について)

一  請求の趣旨

1 原告は、反訴原告ら各自に対し、二四〇万円及びこれに対する昭和五六年一一月一七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 反訴原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は反訴原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

(本訴請求関係)

一  請求原因

1 原告は、別紙物件目録(一)記載の建物(以下「本件建物」という。)を所有している。

2 反訴原告星は、本件建物部分を占有使用している。

3 よつて、原告は、右反訴原告に対し、所有権に基づき、本件建物部分の明渡しを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因事実は認める。

三  抗弁(占有正当権原)

1 反訴原告星は、昭和五六年四月に原告大学に入学し、同時に寮自治会の募集に応じて、横浜市神奈川区片倉町六七〇番地所在の原告大学の女子寮(通称「思苑寮」)に入寮した。しかし、原告が同年一一月一七日、右寮を一方的に封鎖したため、反訴原告星は、止むを得ざる措置として、本件建物部分に居住しているものである。

2 管理寮時代

(一) 原告は、男子寮(通称「宮面寮」)として大学のキャンパス内に、昭和三二年四月に二棟の建物を、昭和三九年三月にこれに近接して本件建物を各建築し、また、上記女子寮を大学から徒歩約一五分の場所に昭和四二年三月に建築した。

(二) 学生寮の運営に関し昭和四〇年に作成された「学生寮管理規則」によれば、学生寮の管理、運営については、寮監と教職員の中から学長が委嘱した寮委員とで構成される寮運営委員会がその一切の権限を有するものとされ、寮生は、原則としてアルバイトを禁止されるなど、管理の対象として生活のすみずみに至るまで支配されていた。そして、寮運営委員会の審査を経た者のみが二年次以降も残寮できるという制度となつており、そのために管理者的発想を持つた残寮生が一年次生を管理指導する結果となり、また、残寮三年次生の中から推薦で選ばれた者が自治会長となるという名ばかりの寮自治会が存在していた。

(三) ところで、学生寮は、大学の自治との関連でその存在意義が考えられるべきであり、基本的には経済的に困窮している学生に対して勉学を続ける場を保障するものであつて、その管理運営については、寮生自身の自主的規律に委ねられるべきものである。ところが、右当時の原告大学の学生寮は、その本来の姿とは程遠く、大学当局の御用学生を育成するものでしかなかつた。

3 自治寮への移行と入寮契約締結権限の授与

(一) 昭和四三年一月、当時原告大学の学生が行つていた原子力空母エンタープライズ号寄港阻止闘争を原告が規制したことから、原告大学で一挙に学内紛争が始まり、当時の米田吉盛学長兼理事長が辞任したほか、学内規程が撤廃され、大学側と学生との間で度重なる大衆団体交渉がなされた。

(二) 右の事態と並行して、「学生寮管理規則」が撤廃され、寮自治会規約が寮生自身の手で作成されるなど、原告大学の学生寮は徐々に自治寮の実態を備えていつた。すなわち、昭和四四年二月二二日、教学面での議決機関である全学教授会は、従来の入寮制度を撤廃して、入寮については学生自治に委ねる旨を決定し、この決定に基づいて寮監制度は廃止され、従来の寮運営委員会は解散し、同年四月二日、再び全学教授会において、神川正彦学生部長の提案で自治寮への移行が了承され、また、学生との大衆団体交渉においても、理事会ないし全学教授会によつて、学生寮の管理運営権が原告から宮面寮及び思苑寮の寮自治会に授与されたことが確認された。

そして、以後昭和五五年度に至るまで、学生自治会や寮自治会が作成した入寮募集案内書類が入学案内書類とともに原告によつて新入学者に対して郵送され、入寮募集や入寮者の選考は寮自治会によつて行われてきたし、また、昭和四八年一二月一五日に行われた寮の団体交渉の席で、原告の提案した寮の維持及び運営規程案が撤回され、大学当局と学生が寮をめぐる問題について話合いを継続していくことが了解され、これにより、学生寮をめぐる問題が生じた場合には、寮自治会が原告と対等の立場で協議するという慣行が確立した。なお、学生寮使用の対価である寮費は、その支払について原告との話合いができず、原告から支払が猶予されていた。

右のように、原告は、黙示的にも寮自治会に寮生に対する入寮契約締結の代理権限を授与し、又はその授与を追認していたものである。

(三) ところで、原告は、昭和五五年一二月二三日付け文書で、寮自治会に対し、入寮者の募集を中止する旨を通告して来たが、右は原告の考えを一般的に述べたに止まるものであつて、上記入寮契約締結権限授与の撤回の意思表示ではない。仮に撤回の意思表示であるとしても、右権限授与を原告の一方的な意思表示によつて撤回することは許されないし、また、反訴原告望月及び同桜井を含め、同星は、入寮の際、寮自治会が原告を代理して入寮契約を締結する権限を有するものと信じ、かつ、そう信ずるについて過失はなかつたものであるから、民法第一一二条所定の表見代理が成立する。

(四) 原告は、入寮契約の履行義務として、入寮者に対して、その者が希望する限り、在学期間中学生寮での生活を保障しなければならないし、また、入寮契約は賃貸借類似の契約と解すべきであるから、借家法第一条ノ二の規定の準用により、正当事由あるいは止むを得ない事由がなければ右入寮契約を解除することはできない。ところが、原告は、昭和四八年に行われた学生との団体交渉以来、学生寮をめぐる問題について寮生と協議することもなく、学生自治会や自治寮に対する敵視を強め、学生寮の維持はもちろんその修理すら行わなくなつた。

四  抗弁に対する認否

1 抗弁第1項のうち、反訴原告星が原告大学に入学し、本件建物部分に居住していることは認め、その余の事実は知らない。

なお、反訴原告星は、女性であるから、男子寮である本件建物を占有するいかなる権原をも有しない。

2 抗弁第2項について

(一)の事実は認める。

(二)のうち、学生寮管理規則の内容が反訴原告星が主張するとおりであつたこと、寮生は原則としてアルバイトを禁止されていたこと、寮運営委員会の審査を経た者のみが二年次以降も在寮できるという制度であつたことは認め、その余の事実は否認する。

(三)の主張は争う。

3 抗弁第3項について

(一)の事実は認める。

(二)のうち、昭和五三年度に至るまで学生自治会や寮自治会が作成した入寮募集案内書類が入学案内書類とともに、原告によつて、新入学者に対して郵送されていたことは認め、その余の事実は否認する。

なお、全学教授会は、原告大学全体の学部の教職員の意思を表明し、理事会等の正規の意思決定機関や執行機関にその意思を反映させようと企図したもので、何ら原告大学の正規の意思決定機関ではない。また、当時の学生寮の運営権限は、寮自治会により暴力的に奪取されたものである。

(三)のうち、原告が反訴原告星の主張するとおりの通告をしたことは認め、その余の事実は否認する。

原告は、昭和五五年四月二八日の理事会決定に基づき、同年五月ころ寮自治会に対し右通告をしたが、仮に原告が寮自治会に対し入寮契約締結権限を授与したものとしても、右通告をもつてその撤回をしたものである。

(四)の事実は否認し、その主張は争う。

五  原告の反論

1 原告は、昭和三年に専門学校として発足した教育機関であり、昭和二四年の学制改革により新制大学となつたものである。

2 原告は、前記のとおり、四棟の学生寮を建築したが、これは、学生に地方出身者が多いことを配慮したほか、大学の創立者で当時の学長兼理事長であつた米田吉盛が、教育の一環として寮生活を重視し、少なくとも一年次は学生寮において共同生活を経験させるべきであるとの教育理念をもつて建築したものである。

学生寮には、寮監一名、寮長一名、寮長補佐二名、栄養士二名、事務職員及び用務員若干名を置いて寮の管理を担当させ、寮の各階に二年次生を三、四名、三年次生を一名配して、入寮生の受入れや清掃班の編成等にあたらせていた。寮費は、昭和四一年度の男子寮において、入寮費(環境整備費)七〇〇〇円、寮費年額二万三〇〇〇円、暖房費一〇〇〇円であり、昭和四二年度の女子寮において、入寮費一万円、寮費五万円、暖房費六〇〇〇円であつた。

3 ところが、昭和四三年ころから大学紛争の激化とともに、学生の間に学生寮を自治寮化する強い動きが生れ、次第に、入寮生の組織した寮自治会が、原告の意思を無視して、入寮者の募集、入寮手続及び寮の利用に関する秩序の維持等の諸事務を行うようになり、寮費の支払も原告に全くされない事態が続いた。

4 反訴原告らは、いずれも革命的労働者協会(以下「革労協」という。)を上部組織とする過激派集団全国反帝学生評議会(以下「反帝学評」という。)の活動家であるが、反帝学評は、原告大学の中で次第に勢力を伸ばして学生自治会や寮自治会の実権を把握するに至り、その結果、学生寮も、反帝学評に支配され、多数の学外者により占拠されるとともに、その拠点となつていつた。

5 反帝学評は、対立する過激派セクトの襲撃に備え、学生寮内に強固なバリケードを築くなどして学生寮を要塞化し、内ゲバ等闘争行為の出撃拠点として使用したため、学生寮は、昭和四三年以降度々警察の捜索を受け、更に、本件建物が昭和四八年九月一五日の日本マルクス主義学生同盟革マル派(以下「革マル派」という。)活動家二名のリンチ殺人事件の舞台となつたほか、昭和五一年一〇月一九日に川崎市高津区の教諭襲撃事件で、昭和五二年三月九日に川崎市内の小中学校職員室ビラまき事件で、同年九月一四日に東京拘置所無人乗用車炎上事件で、昭和五三年五月九日に東大生兵藤治男殺害事件で、同年六月八日に羽田空港乗用車炎上事件で、同月一〇日に川崎市生田の内ゲバ殺人事件で、同年八月七日に東大生中村功殺害事件で、同年九月一三日に箱根レーダー基地襲撃事件で、昭和五四年六月一六日に狭山署放火未遂事件で、昭和五六年四月二一日の原告大学内での内ゲバ事件で等しばしば警察の捜索を受けてきたのである。

こうした学生寮の存在によつて、学内の教育環境が破壊され、近隣住民に多大な恐怖感を与えるに至り、また、本件建物等学生寮の汚れや破壊の程度はすさまじく、もはや居住の用に供することができない程の荒廃状態を呈するに至つた。

6 原告は、昭和五五年に至つて、学生寮が既に寮としての機能を失つたものと判断し、入寮者の募集を中止する措置を採るとともに、一般学生や父兄に呼びかけて右措置に対する賛同を取りつけた。そして、学生自治会や寮自治会に対し、再三にわたり、建物の原状回復や学外者の退去及び学内入寮者に対しその氏名等の届出を求めたものの、右各自治会を実質的に支配する反帝学評は、寮自治の名の下に全くこれに応じなかつた。そのうち、反帝学評は、昭和五六年四月ころ、上部組織である革労協の分裂に伴つて二派に分裂し、学生自治会の主導権や本件建物の支配をめぐつて激しい抗争を繰り広げ、同月二一日には、前記の集団暴力事件を起こすに至り、一名が重傷、二名が軽傷を負うという事態を招いた。そして、右抗争で優位を占めたところの反訴原告らの所属する一派が学生自治会の実権と本件建物の支配権を掌握し、これに対立する一派が本件建物の一階食堂を占拠して、本件建物は両派の抗争の焦点となり、当時両派間に重大な暴力事件に発展すまじき非常に緊迫した状況にあつた。

7 原告は、こうした経過にかんがみ、昭和五六年一〇月一二日、理事会における審議の結果、本件建物を含む四棟の学生寮の機能喪失及び荒廃の進行並びに反帝学評の違法活動の拠点となつていることを理由に、教育上止むを得ない措置として、学生寮を廃止する旨を決定し、廃寮の実施方法は永井宏理事長と三宝義照学長に一任することとし、同年一一月六日、廃寮宣言を発して、寮の占拠者に対し、同月一六日限りで退寮するよう掲示するとともに内容証明郵便をもつてその旨を通告した。したがつて、仮に原告と、反訴原告吉岡、同望月及び同桜井も含め、同星との間に入寮契約が成立していたとしても、右廃寮宣言の通告をもつて入寮契約は解除され、同契約は右退去期日限りで終了したものである。

六  原告の反論に対する認否

1 原告の反論第1項の事実は認める。

2 原告の反論第2項のうち、寮費の金額の点は知らないが、その余の事実は認める。

昭和四〇年ころにおいて、男子寮では、入寮費一万円、寮費年額五万円、暖房費二〇〇〇円が徴収されていた。

3 原告の反論第3項のうち、原告の意思を無視したとの点は否認するが、その余の事実は認める。

4 原告の反論第4項の事実は否認する。

5 原告の反論第5項のうち、学生寮が原告主張のとおりの警察の捜索を受けたことは認め、その余の事実は否認する。

右の捜索は、警察の不当捜査にすぎず、本件とは何ら関連がない。なお、昭和五六年五月ころ学生寮には約一〇〇名の寮生が居住しており、毎年七月には寮自治会の主催で、寮周辺に居住する住民をも含めた盆踊り大会が開かれていた。

6 原告の反論第7項のうち、原告主張の理事会決議及び廃寮宣言がなされ、その主張のとおりの通告がなされたことは認め、その余の事実は否認する。

右廃寮宣言は入寮契約解除の意思表示とは解せられないし、廃寮を決めるに当たつては、学生や寮生との協議及び教授会の決議がなされるべきであるのに、本件ではこれらがなされておらず、右廃寮の決定は、理事会の独断専行の決定にすぎず、その効力がない。

(反訴請求関係)

一  請求原因

1 反訴原告吉岡は昭和五一年四月に、同望月は同五三年四月に、同桜井は同五四年四月に、それぞれ原告大学に入学し、反訴原告吉岡は入学と同時に、同望月及び同桜井は同五六年五月に、それぞれ寮自治会の募集に応じて本件建物に入寮居住した。

2 原告は、昭和五六年一一月六日、廃寮宣言を発し、入寮者に対して学生寮から退去するよう通告してきたため、反訴原告らは、同月一三日、横浜地方裁判所に対し学生寮使用妨害禁止等の仮処分を申請し、同年一二月三日に申請人らの審尋期日が定められ、原告にも同年一一月一六日にその通知がなされた。

3 ところが、原告は、右通知を受けた翌日の同月一七日に突如として強引にも宮面寮を破壊し、思苑寮を封鎖するに至つたのである。すなわち、宮面寮においては、右当日の早朝、約二〇〇名の職員、ガードマン、作業員が全員ヘルメットをかぶつて乱入し、本件建物を除く二棟の建物を解体し、本件建物の一階から四階までの各部屋や廊下の窓、トイレ等及び五階廊下の窓枠を徹底的に破壊し、反訴原告望月の居住していた四階一九号室及び同桜井の居住していた四階一四号室にも侵入して両名の私物まで破壊した。しかも、原告が、同日以降、同寮に対する電気、ガス、水道、電話の各供給契約をいずれも解約したため、反訴原告らはそれらを利用することができなくなつた。

4 反訴原告らは、反訴原告星が思苑寮の同人の部屋に同人の私物を置いたまま締め出されたほか、本件建物を除く宮面寮の二棟の建物が解体され、本件建物の一階から四階までが使用できなくなつたため、本件建物部分に居住することを余儀なくされ、反訴原告望月においては昭和五七年二月末日まで、その余の反訴原告らにおいては同年一二月一一日(明渡し断行の仮処分の執行の日)まで、いずれも右部分に居住した。その間、反訴原告らは、本件建物部分において電気が利用できないため毎晩ランプやろうそくを使つて生活し、トイレを使用できないため近くの体育館まで出かけなければならず、洗顔や入浴も寮内ではできなかつたし、また、冬には自家発電機を購入して寒さをしのいだ。こうしたことから、反訴原告らはよく風邪をひき、また、反訴原告星に至つては、腎う炎に罹り、四〇度の高熱に苦しんだこともあつた。

5 このように、反訴原告らは、原告の入寮契約や前記仮処分申請を無視した強制的排除行為によつて、多大の精神的苦痛を被つたところ、これを慰謝する金額としては、各自につき二〇〇万円が相当である。また、反訴原告らは、原告の右行為に対応して、右仮処分申請をなし、かつ、原告から提起された明渡し断行等の仮処分申請事件及び本件明渡し訴訟に応訴し、本件反訴請求をなさざるを得ないこととなり、右各訴訟を弁護士に委任したが、その弁護士費用としては、各自につき四〇万円が相当である。

6 反訴原告らのその余の主張は、本訴請求関係における抗弁及び原告の反論に対する認否と同一である。

7 よつて、反訴原告らは、原告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、各自につき二四〇万円及びこれに対する不法行為発生の日である昭和五六年一一月一七日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び原告の主張

1 請求原因第1項のうち、反訴原告らが原告大学に入学し、本件建物に居住したことは認め、その余の事実は知らない。

2 請求原因第2項のうち、原告に審尋期日の通知がなされたことは否認するが、その余の事実は認める。

3 請求原因第3項のうち、原告が昭和五六年一一月一七日に宮面寮(本件建物においては一階から四階まで)を取り壊したこと、原告が右同日以降電気等の供給契約を解約したことは認め、その余の事実は否認する。

当時、本件建物の一階から四階までには誰も居住していなかつた。なお、前記の廃寮宣言に応じて反訴原告らを除く入寮生は全員退去し、それに伴つて前記の反帝学評系両派の間の緊張が高まり、集団暴力事件の再発が大いに危惧される状況にあり、原告は、右両派の衝突を回避し、学内の教育環境を正常化するため、緊急止むを得ざる措置として右建物の取壊し等を行つたのである。

4 請求原因第4項のうち、本件建物の一階から四階までが使用できなくなつたこと、及び反訴原告らが本件建物部分に居住していたことは認め、その余の事実は知らない。

5 請求原因第5項のうち、反訴原告ら主張の各訴訟が提起されたことは認め、その余の事実は知らない。

6 原告のその余の主張は、本訴請求関係における抗弁に対する認否及び原告の反論と同一である。

第三  証拠<省略>

理由

一本訴請求関係

1  請求原因事実は当事者間に争いがない。

2  抗弁(占有正当権原)について

(一)  抗弁第1項のうち、反訴原告星が原告大学に入学し、本件建物部分に居住していること、抗弁第2項(一)の事実、同項(二)のうち、学生寮管理規則の内容が反訴原告星主張のとおりであつたこと、寮生は原則としてアルバイトを禁止されていたこと、寮運営委員会の審査を経た者のみが二年次以降も在寮できるという制度であつたこと、抗弁第3項(一)の事実、同項(二)のうち昭和五三年度に至るまで学生自治会や寮自治会が作成した入寮募集案内書類が入学案内書類とともに原告によつて新入学者に対して郵送されていたこと、同項(三)のうち原告が反訴原告星主張のとおりの通告をなしたこと、原告の反論第1項の事実、原告の反論第2項のうち寮費の金額の点を除くその余の事実、原告の反論第3項のうち原告の意思を無視したとの点を除くその余の事実、原告の反論第5項のうち学生寮が原告主張のとおりの警察の捜索を受けたこと、原告の反論第7項のうち原告主張の理事会決議及び廃寮宣言がなされ、その主張のとおりの通告がなされたことは、いずれも当事者間に争いがない。

(二)  右当事者間に争いのない事実に、<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定に反する<証拠>の各部分は措信することができず、他にこの認定を覆えすに足りる証拠はない。

(1) 原告は、昭和三年に米田吉盛が創立し、専門学校として発足した教育機関であり、昭和二四年の学制改革により新制大学となつた私立大学である。

(2) 原告は、男子寮(通称「宮面寮」。収容人員五五〇名)として、大学のキャンパス内に本件建物を昭和三九年三月に、右建物と近接して二棟の建物を昭和三二年四月に各建築し、女子寮(通称「思苑寮」。収容人員一三六名)を大学から徒歩約一五分の場所に昭和四二年三月に建築した。原告が右四棟の学生寮を建築したのは、学生に地方出身者が多いことを配慮したほか、創立者の米田吉盛学長兼理事長の、教育の一環として寮生活を重視し、少なくとも大学入学後の一年次は寮において共同生活を経験させるべきとの教育理念に基づくものであつた。

(3) 学生寮には、寮監一名、寮長一名、寮長補佐二名、栄養士二名、事務職員及び用務員若干名が置かれ、昭和四〇年に施行された学生寮管理規則によれば、寮監が主宰し教職員の中から学長が委嘱した寮委員とで構成される寮運営委員会が寮の運営について一切の権限を有するとされていた。そして、寮運営委員会の審査を経た者のみが二年次以降の在寮を許され、寮の各階には二年次生が三、四名、三年次生が一名配されて、入寮生の受入れや清掃班の編成等にあたつていた。一方、寮生は、寮生心得によつて、日課、面会、掲示、集会などの準則が定められ、原則としてアルバイトを禁止されていた。

(4) 昭和四三年一月二二日、学生が原子力空母エンタープライズ号の佐世保寄港阻止支援活動を行つていたところ、原告の職員が学生の政治活動を禁止した学内規程に基づいてこれを規制しようとしたことから、学生が強く反発し、一挙に学内をおおう紛争へと発展した。これに対し、米田学長は、教授会にその対策を一任したが、教授会は、正式の意思決定機関である理事会と違つて、学長の諮問機関で、決定権を持たない審議機関にすぎなかつたものの、対策委員会や協議会を設けるなどして、学内改革に積極的に乗り出し、学生との対話によつて問題解決を図る方策を打ち出すとともに、教学面での改革や新たな大学の体制整備に着手した。こうした事態の中、学内規程が撤廃され、また、米田吉盛は、同年三月一五日に学長を辞任し、更に、同年九月一二日に理事長を辞任した。そして、そのころから、原告の理事会や教授会と学生との団体交渉(話合い)が度々行われ、教授会や学生の強い要求によつて、終身理事制の廃止を内容とする寄附行為の改正がなされ、学生の自主的活動を重んじた学内規程改正の原則が定められた。

しかしながら、全国的に大学紛争が広がる中、原告大学においても、次第に学生の要求が学内問題の枠を越えたものになり、学生と教授会の間が対立的な様相を呈するようになるとともに、学生の間や教授会の内部にも対立が現れた。昭和四四年二月ころから、一部学生による大学校舎の封鎖が断続的に続き、学生間の乱闘事件や学生の教員に対する暴力事件が多発し、長期休講が続いて学内は混乱を極めたが、原告は、何ら有効な措置が採れなかつた。

そして、昭和四六年一〇月三一日に強行されたロックアウト(学内立入り禁止措置)が多数の教員や学生等の反対によつて解除された後の同年一一月二二日、授業再開を前に、教授会、教職員組合、職員会議、学生自治会の共催によつて全学集会が開かれ、学内問題の処理に当たつて教授会は一切権力的対応を行わないこと、及び暴力否定の方針が決議された。その後、昭和四七年七月二六日、従来諮問機関であつた評議員会を資産処分等の重要な問題についての議決機関とするなどを骨子とした新寄附行為が定められ、また、翌年度限りで、全学の教員が教員人事やカリキュラムなど教学方針の決定にあたつていた全学教授会(全体教授会)は廃止され、教学事項の決定機関は各学部の教授会に移された。しかし、このような改革後も、大学内では、後記のリンチ殺人事件をはじめ、授業妨害や暴力事件、学費改定に反対する学生による校舎の封鎖などの事件が続いた。

(5) このような大学紛争の高揚は、学生寮の管理運営にも多大な影響を及ぼした。学生の間に学生寮を自治寮化する強い動きが生まれ、従来の寮運営委員会や寮監制度は廃止されるとともに、寮生の手で寮自治会規約が作られ、原告の意思決定(理事会の決定・承認)によらずに、入寮生の組織した寮自治会が、学生寮の管理、入寮募集、入寮者の選考を行うようになつた。入寮募集は、昭和四四年度においては学生自治会が、翌年度から昭和五四年度までにおいては寮自治会が作成した入寮募集案内書類を、入学案内書類とともに原告が新入学者に対して郵送する方法で行われた。こうして、学生寮の管理は事実上学生の支配下に置かれ、原告は入寮者の氏名や責任者さえ把握できず、寮費も原告に全く支払われなくなつた。原告は、このような事態を是正するために学生側と話合いを続けたが、昭和四八年一二月一五日、原告と寮生との間に行われた団体交渉においても、原告の提案した寮の維持及び運営に関する規程案が事実上撤回され、大学当局と学生が話合いを継続していくことが了解されたのみで終つた。

そのうち、学内で勢力をのばした学生運動の一党派である革労協系反帝学評が、学生自治会や寮自治会を掌握し、その結果、本件建物など学生寮を支配するに至り、学生寮は、本件建物を中心に反帝学評の活動家の拠点となり、多数の学外者に占拠されるようになつた。また、昭和四八年ころから、反帝学評系の学生は、対立党派の襲撃に備え、本件建物の一階から五階までの階段にコンクリートの壁を作つたり、椅子や机でバリケードを築き、更に、窓ガラス等を破壊したまま放置するなどしたので、学生寮の荒廃はすさまじいものがあつた。

(6) 一方、昭和四四年一〇月ころ、暴力事件で学生寮が警察の捜索を受けたが、特に、昭和四八年ころから学生運動における諸党派の活動とその間の対立抗争が激化するに伴い、原告大学の学生寮は警察の捜索を度々受けるようになつた。昭和四八年九月一五日に宮面寮の付近で革マル派の活動家二名が反帝学評の学生のリンチによつて殺害されるという事件が発生し、この事件で宮面寮が捜索を受けたほか、昭和五一年一〇月一九日に川崎市高津区の路上での小学校教諭襲撃事件で、昭和五二年三月九日に川崎市内の小中学校職員室ビラまき事件で、同年九月一四日に東京拘置所の塀に無人乗用車が激突炎上した事件で、同年一二月二三日に川崎市高津区の路上での傷害事件で、昭和五三年二月二七日に茨城県内での革マル派活動家の殺人事件で、同年六月八日に羽田空港駐車場での乗用車炎上事件で、同月一〇日と一一日に川崎市多摩区での革マル派学生の殺人事件で、同年八月七日に横浜市内での革マル派学生の殺人事件で、同年九月一三日に箱根の航空路監視レーダー襲撃事件で、昭和五四年六月一六日に埼玉県警狭山署の放火未遂事件で、昭和五六年一〇月八日に原告大学内での傷害事件で、その他十数回にわたつて警察の捜索を受け、その都度、鉄パイプ、ヘルメット、竹ざお、ビラ、機関紙などが押収された。こうした事件の続発により、夏には寮自治会の主催で寮周辺に居住する住民も参加して盆踊り大会が開かれたこともあつたが、近隣の住民に多大の恐怖感を与えるとともに、学生寮をこのような状態に放置しておくことにつき社会の批判が高まつた。

(7) 原告は、以上の経過にかんがみて、昭和五五年四月二八日の理事会の決議を経て、入寮者の募集を中止することとし、同年五月ころ寮自治会に対しその旨を通告するとともに、学生や父兄にも右決定に対する理解と協力を呼びかけた。そして、原告は、再三にわたり、学生自治会や寮自治会に対し、寮内の障害物を撤去して原状に復すること、及び学外者を退去させることを要求したが、一向に効果がなかつた。また、学内入寮者に対して所属学部や氏名等の届出を求めたところ、それに応じて昭和五六年一〇月二三日までに一二名の者が届出をなし、しかも、その寮生らは、原告の勧告に従つてそれから約一週間後には全員退寮した。

一方、昭和五六年ころから反帝学評は二派に分裂して、学生自治会や学生寮の支配をめぐつて激しく対立し、遂に、同年四月二一日には学内で反帝学評系両派の学生間に衝突が起こり、一名が重傷、二名が軽傷を負うという暴力事件が発生した。そして、本件建物等学生寮内でも両派の衝突の危険が差し迫つていた。また、このころ、寮の荒廃はその極に達し、外部の人間は近づけない程であり、本件建物などは反帝学評系学生の要塞化し、一般学生二、三〇名程度(女子寮には二、三名程度)しか在寮していない状況であつた。

(8) 原告は、昭和五六年一〇月一二日、学生寮の機能喪失、荒廃、暴力事件の舞台化していることなどを考慮し、止むを得ない措置として、理事会において全員一致で廃寮することを決定し、同時に廃寮の具体的な実施については理事長の永井宏と学長の三宝義照に一任することとし、同年一一月六日付けで廃寮宣言を発し、同日、寮内への立入り等の禁止を告示するとともに、入寮者に対して同月一六日までに退寮するように通告した。そして、同月一七日に、評議員会でも右廃寮措置が是認された。

(9) 反訴原告星は、昭和五六年四月に原告大学に入学し、同時に寮自治会の募集に応じて思苑寮に入寮し、同寮の三階一一号室に居住していたが、右寮が同年一一月一七日に封鎖されたのに伴い、本件建物部分に居住するに至つたものである。

(三) そこで、反訴原告星の本件建物部分に対する占有権原であるが、同人の占有は寮自治会が原告大学から授与(又は追認)されていた入寮契約(賃貸借類似の契約)締結権限に基づき、寮自治会の承諾を得た適法なものであるとする主張について判断するに、大学が学生寮を建築してこれに学生を居住させる場合における大学と寮生間の右学生寮利用の法律関係は、その学生寮設置の目的が、自宅通学ができず、また、当該大学周辺の地に適当な下宿等の宿泊施設を獲得することができない学生のために学生の通学上、経済上の負担を軽減し、かつ、学生寮における共同生活による教育上の効果を挙げることにあり、加えて、通常寮費は、光熱費や食費等寮生活に必要な実費程度であるのが通例であることにかんがみるに、基本的には使用貸借であり、その寮費の額、内容により賃貸借と認められる場合にも借家法の適用ないしはその類推適用のないものであると解するのが相当である。これを本件についてみるに、上記認定のとおり、昭和四三年以来の学内紛争のため、原告大学自身による学生寮の保持管理ができず、寮費の支払も行われない状態で今日に至つているとはいえ、本件学生寮の設置の趣旨、目的は上記一般の場合と変らず、原告が設置した寮の建物を学生の居住用に使用させることを目的とした使用貸借であり、学生の入寮は、原告との間のこの契約の締結に基づくものでなければならないものと解すべきである。

そこで、本件の場合、寮自治会が右入寮契約(使用貸借契約)締結の権限を原告から授与されていたか否かを判断するに、上記認定事実によれば、原告大学の学生寮は、昭和四四年ころから学生が組織する寮自治会の事実上の支配下に置かれ、入寮者の選考も寮自治会が行うに至つたものであるが、これは、学内紛争の続く中で、原告の意思によらずに、学生が寮の管理運営を事実上掌握していたものにすぎず、原告が学生自治会や寮自治会の作成した入寮募集案内書類を昭和四四年から約一〇年間にわたつて新入学者に送付していたこと、同四八年一二月一五日に原告と寮自治会との間で行われた団体交渉において、原告の提案した学生寮の維持、運営に関する試案が撤回され、大学当局と学生が寮の問題で話合いを継続していくことが了解されたことがあつても、これらの事実のみによつては、原告が寮自治会に対し黙示的に入寮契約締結の権限を授与し、又はこれを追認したものと認めることはできない。更に、反訴原告星は、昭和四四年二月二二日、同年四月二日、あるいは学生との団体交渉の場において、全学教授会が入寮については学生の自治に委ねることを決定した旨主張し、<証拠>中には、右事実に沿う部分があるが、上記認定のとおり、全学教授会は教員人事やカリキュラムなどの教学面の方針の決定機関にすぎず、学生寮の維持、保存、管理は大学の財産管理に属する事項というべきであるから、教授会は右事項について法的に意思決定ができる機関ではなく、加えて、<証拠>によれば、原告大学の神川正彦学生部長が、昭和四四年三月四日付けで、理事長に対し、学生寮を自治寮に移行させ、寮の使用管理は学生の完全自治にすべきである旨の書簡を送付していることが認められるが、これは、学生部長としての見解ないしは具申にすぎず、原告大学の正式の意思決定ではなく右各事実をもつて、原告が寮自治会に対し入寮契約締結権限を授与したものということもできない。他に原告が寮自治会に対し右権限を授与しあるいはその追認をしたことを認めるに足りる証拠はない。

よつて、反訴原告星の前記主張は理由がなく、かつ、これを前提にした抗弁第3項(三)及び(四)の主張もまた理由がない。

加えて、原告が学生寮の廃止を決定したことについては、上記認定のとおりであり、この学生寮の廃止決定に基づく廃止宣言及び入寮者に対する退寮通告により、以下に述べるとおり、原告が原告大学の学生に対し寮の施設を利用させて学生を居住させる使用貸借契約が一般的に適法に終了したものであることが認められる。すなわち、上記認定のとおり、昭和五六年一〇月当時、原告大学の学生寮が居住に適さない程に荒廃が進み、寮内にバリケードが築かれるなど一党派学生の拠点化し、多数の学外者が入り込んでいたこと、暴力事件が多発し、警察の捜索を度々受けたことから近隣住民に多大な恐怖感を与え、学内の教育環境に重大な悪影響を及ぼしていたこと、しかも、当時全寮で収容数六〇〇名以上のところ数十名の学生しか在寮しておらず、大学の呼びかけに応じて氏名等を届け出た学生は全員退寮していたことからすれば、原告の本件廃寮決定は、大学の教育研究機関としての責務に照らし、止むを得ない正当な措置であつたといわざるを得ない。なお、原告が右決定をなすに当たつては、上記認定のとおり理事会及び評議員会の各決議がなされているからそれをもつて十分であり、学生寮の維持管理については教授会の決議を経る必要がないのはもちろん、昭和四八年一二月一五日に行われた団体交渉の結果や昭和四六年一一月二二日の全学集会決議の存在(この決議は、原告の意思決定機関である理事会が関与したものではないし、その内容もあいまいである。)を考慮しても、原告が廃寮決定をなすに当たつて、反訴原告星の主張するように学生や寮生と協議すべき義務があるものと解することはできない。

したがつて、仮に反訴原告星の主張するように適式な入寮契約により同人が思苑寮に入寮居住していたとしても、原告のなした右学生寮廃止決定により、その正当占有権限である使用貸借契約に基づく権原は消滅したものであるから、その後に同人が本件建物部分に居住したとしても、何ら適法な占有権原を有しないことは明らかである。

よつて、反訴原告星の主張はいずれも失当であり、抗弁は理由がない。

二反訴請求関係

1  請求原因第1項のうち反訴原告らが原告大学に入学し本件建物に居住したこと、請求原因第2項のうち原告に審尋期日の通知がなされたことを除くその余の事実、請求原因第3項のうち、原告が昭和五六年一一月一七日に宮面寮を取り壊し、本件建物においては一階から四階までを取り壊したこと、原告が右当日以降電気等の供給契約を解約したこと、請求原因第4項のうち、本件建物の一階から四階までが使用できなくなつたこと、反訴原告らが本件建物部分に居住していたこと、請求原因第5項のうち反訴原告ら主張の各訴訟が提起されたことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  右当事者間に争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定に反する<証拠>の各部分は措信することができず、他にこの認定を覆えすに足りる証拠はない。

(一)  反訴原告吉岡は昭和五一年四月に、同望月は昭和五三年四月に、同桜井は昭和五四年四月にそれぞれ原告大学に入学し、反訴原告吉岡は入学と同時に、同望月及び同桜井は昭和五六年五月にそれぞれ寮自治会の募集に応じて本件建物に入寮した。そして、同年一一月一七日当時、反訴原告吉岡は本件建物の五階二四号室に、同望月は四階一九号室に、同桜井は四階一四号室にそれぞれ居住していた。

(二)  原告が前記廃寮宣言を発し、入寮者に対して退去を求めてきたため、反訴原告らは、昭和五六年一一月一三日、横浜地方裁判所に対し寮生であることの地位確認及び寮の使用妨害禁止の仮処分を申請し、同年一二月三日に審尋期日が定められるとともに、反訴原告ら代理人弁護士は、原告に対し、同年一一月一三日に電話でもつて、反訴原告らが右仮処分を申請したことを知らせ、裁判で解決されるまで建物の現状を変更しないように要求し、また、その旨の内容証明郵便を送り、これは同月一六日に原告に送達された。

(三)  右廃寮宣言が発せられた後、反訴原告ら数名を除く入寮生は全員退去した。しかし、廃寮宣言に対する寮自治会の反発は強く、反訴原告らは依然として退寮を拒んでいたほか、これを支援する三〇名程の学生が昭和五六年一一月一六日の夜から宮面寮内に立てこもり、正門等三か所にバリケードを築くなどして抵抗の構えを見せていた。

(四)  原告は、右廃寮宣言で通告したところの退去期限の切れた昭和五六年一一月一七日、これ以上荒廃の進んだ寮を放置できないうえ、反帝学評系両派の学生の衝突を回避するため、緊急止むを得ない措置として学生寮の取壊しを行うことを決め、同日の朝七時半ころ、学長補佐の近藤正栄の指揮で、教職員、ガードマン、作業員ら約二〇〇名が白いヘルメットをかぶつて宮面寮に赴き、同寮内に立てこもつていた反訴原告らを含む三〇名程の学生を排除し、本件建物を除く二棟の建物を解体したが、本件建物においては、本件建物部分に人が居住している形跡が認められたのでほとんど取壊しをしなかつたものの、一階から四階までのガラス窓、ドア、トイレなどを徹底的に取り壊し、畳等を撤去するとともに、電気、ガス、水道等の供給も止めた。当時、同建物の四階には反訴原告望月と同桜井が居住していたが、同人らは部屋に本だな、洋服など若干の私物を置いていたのみで、少なくとも外部からは居住の実態が窺えない程であつた。また、原告は、同日、思苑寮の周囲を鉄板で取り囲んで同建物を封鎖した。当時、思苑寮には反訴原告星のみが居住していたが、同人も部屋に若干の私物を置いていたのみで、外部からは居住の実態が窺えない程であつた。

3  ところで、前記認定のとおり、寮自治会は事実上学生寮の管理運営を行つていたにすぎず、原告は寮自治会に対して寮の管理のほか入寮に関する何らの権限を授与したものではなく、反訴原告らは、いずれも学生寮に居住する正当な権限を有しないで事実上居住していたにすぎず、また、仮に反訴原告ら主張のように原告が右居住を黙認していたことで同人らに正当占有権原が生ずるとしても、上記のとおり、廃寮宣言に基づく退寮通告が適法になされた以上、これに応じてすみやかに学生寮から退去すべきは当然のことであつたというべきである。

4 そこで、原告が昭和五六年一一月一七日になした学生寮の取壊し封鎖等の行為の違法性の有無について考えるに、当時、反訴原告らから原告に対し寮の使用妨害禁止等を求める仮処分が横浜地方裁判所に申請されており、反訴原告ら代理人からその旨が原告に通知されていたのであるから、原告としてもその裁判の推移を見守るのが穏当であつたのであり、原告の右行為はやや性急にすぎた感を免れないが、反面、反訴原告らはいずれも学生寮について不法占拠者であつたことのほか、前記認定のとおり、原告大学の学生寮は、反帝学評系学生の拠点化し、暴力事件が過去何度となく繰り返され、特に、その当時においては、反帝学評系学生の内部分裂によつて寮内でも暴力事件が起きる可能性が相当程度考えられ、かつ、学生寮の荒廃が極に達し寮としての実質的機能を完全に失つており、学生寮の存置は、学内の教育環境を破壊し、社会の批判を強めるばかりで、大学としての責務を果たすためには一日でも早い廃寮が必要であつたこと、原告は右廃寮宣言により一〇日間の猶予期間を設けて入寮者に対して退去の勧告をしたこと、反訴原告ら数名を除く入寮者は実際に右廃寮宣言に応じて全員退去したこと、かえつて寮内には反訴原告らを支援する学生が入り込んでバリケードを築くなどしていたこと、学生寮に居住していたとされる反訴原告望月、同桜井及び同星は、いずれも部屋に若干の私物を置いていたのみで、外部からは居住の実態が窺えなかつたことを考え合わせれば、原告の本件取壊し封鎖等の行為は違法性を阻却する緊急止むを得ざる所為と認められ、不法行為を構成するものではないと解するのが相当である。

5  したがつて、その余の点について判断するまでもなく、反訴原告らの主張は理由がない。

三結論

以上のとおり、原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容することとし、反訴原告らの反訴請求は失当なのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官浦野雄幸 裁判官吉田徹 裁判官内藤正之)

別紙物件目録

(一) 所  在 横浜市神奈川区六角橋四丁目七一八番地二、七一八番地五、七一九番地五、七一九番地六

家屋番号 七一八番二

種  類 寄宿舎兼機械室

構  造 鉄筋コンクリート造陸屋根地階付六階建

床面積 地階 一三四・二四平方メートル

一階 八九五・八三平方メートル

二階 五九三・七八平方メートル

三階 五九三・七八平方メートル

四階 五九三・七八平方メートル

五階 五九三・七八平方メートル

六階  一六・五六平方メートル

(二) 右(一)記載の建物のうち五階部分

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